リクエストニュース

被災地に大挙して入る報道機関はなぜ援助活動しないの?

援助活動

Q:避難所で赤ちゃんのおむつや離乳食が1つもない、とお母さんが泣いていました。おむつ1枚、離乳食1つでも良いので取材の際に渡してあげられるようにできませんか?報道機関は援助活動ができないのですか?

A:援助は、その避難所ごとに必要としているものが違うため、あらかじめどんなものを必要としているのか把握した上で物資を調達し、届ける必要があります。

一方で、報道機関にはいち早くこの出来事を広く住民、国民に知らせるという使命があり、記者たちは取る物も取りあえず現地に向かっているのが実情で、もともと目的が違うのです。と、このように建前では言うことができます。

しかし、今回のようなこの未曽有のできごとを前に、そんなことを言っても、少しむなしい気がします。

避難所などに入って被災者の様子を伝える報道機関は、自分たちの食糧だけは確保し、車で現地に入っています。何か歯がゆいというか、怒りすらこみ上げてくる読者がいても不思議ではないと思います。

現場に入る記者やカメラマンも、そのことは意識しています。共同通信のある記者は、被災地に入ってからはできるだけタクシーを使わずに取材するようにし、食事は陰に隠れて必要最小限だけをとるように心掛けた、ということです。

そして「通信社の記者には、広い世界へ災害の状況、被災者の現状を伝える使命がある」と自分に言い聞かせますが、それでも「その聞こえの良い言葉は被災者に届くのか」と悩みます。

ある時、大船渡の駐車場の片隅で隠れるようにおにぎりを食べていると、通りがかった被災者の方が「甘い物も食べないと」と、現地で作っていたお菓子の「かもめの卵」を1つくれました。思わず泣いてしまった、といいます。

そして、取材をしていながら、被災者の役に立つことができていないと無力感に包まれた時は、「何が必要ですか」と聞くようにしました。

「興味深かったのは、テレビ各社も同様のやり方を始めていました。おそらく、あまりの大被害に、少しでも力になりたいと思ったのではないでしょうか」と話しています。

別の記者は、屋根の上で一夜を明かした中学3年の男の子に取材した時のことを、忘れがたいこととして記憶しています。

中学校で男の子の卒業式の日程を聞き、避難所や役場を回る中で祖父を、病院で伯母を見つけ出して、そのことを男の子の母親に伝えました。すると、卒業式も親族の安否もまだ知らなかったために感謝され、「嬉しかった」といいます。

どうして東北の人たちは、こんな状況の中でこんなにも優しく、こんなにも辛抱強いのか、といった話しを現地に行った記者たちからは山のように聞きました。

報道機関の使命は何か、ということを常に自問自答しながら、そうした被災者たちの思いに触れ、時に泣かされ、時に悩み、時に被災者から逆に励まされながら、伝えるべき事をしっかりと伝えていく。

答えにはなっていないのかもしれませんが、そうして日々、ニュースが配信されている、ということで理解していただけるでしょうか。(共同通信記者)

援助活動