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大津波の復興例はどのようなものがあるのか。そこから学べるものは?


復興例

Q:大津波による被害から復興した例は、日本含め世界にどのようなケースがあるのでしょうか。1)津波前→直後→復興後の変遷 2)街のグランドデザインはどう作られたか 3)その人々の経験で生かせるものは何か―についてお願いします。

A:世界で起きた大津波の例というと、やはり7年前のスマトラ沖地震による巨大津波が挙げられます。

インドネシア北西端にあるアチェ州では、2004年12月に起きたこの巨大津波で16万人以上が死亡・行方不明となるなど、壊滅的な被害を受けました。

未曾有の事態に直面したインドネシア政府は約4カ月後の05年4月に「復興基本計画」を策定し、その実施機関として復興庁を創設しました。復興事業や国際援助の受け入れを一元的に管理するためです。

復興庁長官に任命されたのは元エネルギー・鉱物相のクントロ氏で、夫人とともにアチェ州に移住しました。4年間、陣頭指揮を執り続け、被災住民らの厚い信頼を得ました。

しかし、復興基本計画は国の中央でトップダウン方式で作成したため、現地の実情に合わないことも多く、復興庁は住民集会を何度も開き、計画を修正していきました。

例えば当初、再び津波に遭わないよう、海岸線から2キロ地点までを緩衝地帯に指定しました。しかし、沿岸域の住民は大半が貧しい漁師でしたので「内陸部に住むと船の管理ができない」とか「移動が不便だ」などと口々に不満を訴えたため、すぐに撤回を決めました。

その代わり、内陸部に逃げやすいよう拡張した道路を建設し、避難経路の標識を設置。国際協力機構(JICA)の支援で沿岸部に津波避難専用ビルを建設したほか、津波訓練も繰り返し実施しています。

クントロ氏は復興で最も大事なことは「被災住民が何を望んでいるのか耳を傾けること」と断言します。

復興庁は09年4月、役目を終えて解散しましたが、アチェ州の復興は世界的に高く評価される成功例と言えます。クントロ氏は「アチェでも東日本大震災でも、地域の復興をする主体は被災住民で、国はその後押しをするというのは同じはずだ」と語っています。

では、日本ではどのような事例があるのでしょうか。

日本では、1993年に北海道・奥尻島を襲った津波の例があります。

奥尻島は、この年の7月12日に発生した北海道南西沖を震源とするマグニチュード(M)7・8の大地震で、最大約30メートルの津波が到達し、壊滅的な被害を受けました。

島では多額の義援金を支えに、住民の意向を尊重したまちづくりが進められました。107人が犠牲になった島南端の青苗(あおなえ)地区では、約3メートル盛り土し、180区画に整理した低地に住宅や商店、公共施設が並んでいます。一方、高台では集団移転した世帯などの住宅が海を見下ろします。

同地区は被災後、海沿いの全約360戸が高台に移転する案が浮上しましたが、漁師らから「海が見える元の場所がいい」などの意見が出ました。

そのため奥尻町は、83年の日本海中部地震の津波でも被災した最南端の岬周辺に限って住宅の再建を禁止し、高台への集団移転は一部にとどめました。住民が高台か、盛り土した低地部かを選べるようにしたのです。

高さ6~11メートルの防潮堤や高台への避難路が整備されたこともあり、低地でも安心と考える住民も多く、3分の1ほどが低地に住宅を再建しました。

町の災害復興対策室係長だった竹田彰・総務課長(58)は「全戸の高台移転が望ましくても、反対の声が1人でもあれば強行できない」と話しています。

1階が浸水した青苗小学校の再建場所も焦点になりました。低地で便利な元の場所か、高台か。保護者が投票した結果、僅差で元の場所に。津波に強い設計ですが、当時娘2人が通学していた住民の一人は「学校や高齢者向けの施設は安全な場所に建てるべきだ」と、納得がいかない表情です。

一方、まちづくりを支えた約190億円の義援金は、住宅再建のほかに、基幹産業である漁業への手厚い支援も可能にしました。地元漁協は流失した約250隻の磯舟などを一括購入、格安の使用料で貸し出し、5年の貸与期間後は組合員の所有にしました。

そのため多くの漁師が漁を再開し、現在でもウニ漁やアワビ漁などが盛んに行われています。

こうした事例から、今回の震災復興で学ぶ点について、北海道大大学院の越澤明教授は次のように話しています。

「奥尻島では、住宅の移転に集中するあまり、復興後の観光振興などを十分考えなかったのが反省点だ。海岸線にコンクリートの擁壁ができて離島観光の魅力が失われ、人口も減ってしまった。

人には住む家だけでなく暮らすための産業が必要で、今回の東北の復興では、50~60年に1度と想定される津波と共存できる産業振興やまちづくりの姿を冷静に議論する必要がある。

東北には、なにより、1933年の昭和三陸沖地震の津波被害から復興した先例がある。住宅移転のための土地が不足する地域では、集合住宅の建設も考えるべきで、その点では、福岡西方沖地震の被害から復興した福岡市の玄界島も参考になるだろう。

いずれにしても、地元の現状、将来の姿を現実的に考えることが大事だ。現在も、被災地では未入居の仮設住宅が問題になっており、机上の空論で(住宅の)高台移転を進めれば、ゴーストタウンが出現することにもなりかねない」(共同通信 外信部記者、函館支局記者、デジタル編集部記者)


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